So-net無料ブログ作成
検索選択
み教え ブログトップ

それはだめ [み教え]

『それはだめ』

食べすぎをしながら 健康をねがっても
寝ころんでいながら 富貴をねがっても
すべきことをせずに 幸福をねがっても
骨折りもせず    上達をねがっても
怠けてばかりいて  成功をねがっても
怒ってばかりいて  善果(よいこと)をねがっても

※自戒の言葉として深く反省
合掌 住職


nice!(0)  コメント(0) 

一休禅師の歌 [み教え]

「極楽は 西にもあらじ 東にも  来た(北)道さがせ 皆身(南)にある」

「阿弥陀とは南(皆身)にあるを知らずして 西を願うははかなかりけり」


nice!(0)  コメント(1) 

『至道無難 唯嫌揀択』 [み教え]

『至道無難 唯嫌揀択(しどうぶなん ゆいけんけんじゃく)

 ・・・至道無難、唯揀択を嫌う(しどうぶなん、ただけんじゃくをきらう)。

 私の好きな禅語の一つで、今日テレビで使われていました。
「悟りを得るのは難しくはない。ただ選り好みをしないことである。」という意味です。
どうしても好きな方ばかり選んで嫌いな方は避けようとしてしまいます。
仏様は必要なことを与えて下さいます。
それを喜んで受けられるかどうかは自分自身です。
何故、嫌いなのか、苦手なのか。そこにこそ仏様からのメッセージがあります。
自分を向上させるためにも嫌いなことも意識的に選んでいこうと思っております。


nice!(1)  コメント(2) 

お釈迦さま降誕会の月によせて [み教え]

 今日から4月が始まりました。
4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。
降誕会の他に潅仏会、仏誕会等いろいろ呼び名があります。
「花まつり」という言葉も庶民の仏教行事名として定着していますが、これは明治期の造語で比較的新しい仏教用語です。
この言葉は明治時代末に欧州留学した浄土真宗の近角常観(ちかずみじょうかん)等がベルリンで降誕会を開く際に使用したのが最初と呼ばれております。
日本では桜などの春の花が咲くシーズンと合わさって「花まつり」の言葉が広まったのでしょう。

 

 お釈迦さまは、インド北部にあった釈迦国の王子としてお生まれになります。
伝説では出産のために故郷に帰る途であったお釈迦さまの母マヤ夫人が休憩地のルンビニーの泉の無憂樹の花枝を取ろうとした時に産気づき右脇から出産したとされます。
そして生まれたお釈迦さまは、四方に七歩ずつ歩んだ後「天上天下唯我独尊」と唱えたといわれます。
もちろん生まれたばかりの赤ちゃんが脇から生まれたり歩いたりしゃべったりするわけではなく、譬喩として説いているわけです。

 

 右脇の右というのは聖を表しています。
インドでは右を聖なるものとして左を不浄なるものとしており、それは今でも食事は必ず右手を使いトイレは左手で拭くことからもわかります。
袈裟が左掛けなのも不浄な左を隠す意味があります。
脇というのは人間の体を階級に例えると、バラモンは頭、クシャトリアの貴族階級は肩・胸の場所を表しており、お釈迦さまはクシャトリア出身のため脇から生まれたわけです。
そして七歩あるくのは六道輪廻を超越していることを表しています。
「天上天下唯我独尊」はもちろんお釈迦さまが一番偉いといっているのではなく、人間一人々々の絶対的な尊さを表しているという意味なのは他の経典を見ても明らかです。

 

 お釈迦さまが二千五百年前にお生まれになったお陰さまで、私たちは尊い仏教の教えにご縁を頂くことができたわけです。
法華経にはお釈迦さまがお生まれになったご因縁について次のように説明しています。

 

「舎利弗よ、どのような意味ですべての仏はただ一つの大切な目的をもってこの世にお生まれになられると思いますか。すべての仏は人々に仏とおなじ見方・考え方ができるように心を清めようと世の中に生まれるのです。人々に仏と同じ見方・考え方を示そうと世の中に生まれるのです。人々に仏と同じ見方・考え方の理解ができるようにと世の中に生まれるのです。人々に仏と同じ見方・考え方の生き方ができるようにと世の中に生まれるのです。舎利弗よ、このような意味ですべての仏さまはただ一つの大切な目的をもってこのようにお生まれになられるのです。」

 

 お釈迦さまは私たちの幸せのために二千五百年前にお生まれになられたわけです。
お釈迦さまの深いお慈悲に感謝して降誕会をお祝いし、仏道修行に更なる精進をお誓いしたいとお思います。

 

 金剛座寺では、4月3日より15日までご本堂内に花御堂と誕生仏をご安置しご供養いたします。
ご都合のあわれる方は是非ご参拝ください。


nice!(0)  コメント(3) 

もうすぐ彼岸会です [み教え]

  「彼岸」とは「此岸」と対をなす仏教用語で、インドの海のように岸が見えない大きなガンジス川に譬えています。
此岸(此の岸)」とは私たちの住む世界をあらわし、そして「彼岸(彼の岸)」を仏さまの浄土の世界としました。
日本では春分秋分の日に彼岸会が行われるようになりました。
これは春分秋分は太陽が真西に沈み、それが阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すために、この日に行なわれるようになったようです。
西方極楽では、多くのご先祖様も阿弥陀様の元にいるわけですから、祖先供養が始まったものと考えられています。
一説には彼岸とは本来「日願」であって、太陽信仰の一つであったとも言われています。

 その彼岸浄土に渡る修行を「到彼岸」といい、原音ではパラミーター「波羅蜜」といいます。
大乗仏教の到彼岸のための修行が六波羅蜜と呼ばれる修行です。密教では十波羅蜜もあります。
六波羅蜜とは「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の六つの波羅蜜で、智慧の音写はパンニャ「般若」といいますが、智慧波羅蜜を説いた有名なお経が「般若波羅蜜多心経」、つまり「般若心経」です。現在の彼岸会は先祖供養が中心の行事ですが、本来の意味は成仏のための六波羅蜜修行を誓う日であるといってよいでしょう。

 私も春の彼岸会を通してお寺を清め歴代住職にご回向し、檀信徒の幸せ・先祖供養を行い、六波羅蜜修行の実践を誓って、4月からの修行生活に取り組んで行きたいと思います。


nice!(0)  コメント(1) 

涅槃会に学ぶ [み教え]

仏教三大行事である涅槃会は、お釈迦さまのご死去を悼むだけの行事ではありません。涅槃とは仏さまの悟りの域を表しています。

法華経には、「教えを説く人の所は供養しなさい。なぜならばそこは仏さまのいる道場だからである。すべての仏はここで悟りを開き、教えを説き、涅槃したのである」(神力品第二十一『道場観』)と説かれております。

涅槃とは、悟りという生命の輝きと涅槃という死の自覚が実は同じであることを感じさせられました。

先達の言葉に「仏教を学ぶにはまず自分の死のあり方を認識することが大事である」という言葉があります。

人間は金持ちも貧乏人もみんな必ず肉体が衰え死にいたります。

いやもしかしたら夭折して短命かもしれません。

そのことを自覚すると生きることの有難さが感じてくるはずです。

そして今一生懸命生きようという勇気が沸いてきます。

命は一つ一つ尊いものです。

法華経ではお釈迦さまの涅槃は永遠の仏の存在を意味します。

親である仏さまが永遠であれば子どもである私たちも永遠です。

ご入滅から二千五百年たちましたが、お釈迦さまは常に私たちのお側におられます。

そのことを実感する日が涅槃会なのです。


nice!(0)  コメント(2) 
み教え ブログトップ
メッセージを送る