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纒向(まきむく)遺跡と金剛座寺 [金剛座寺の歴史]

 現在、奈良県桜井市の纒向遺跡が話題になっています。
調査が深まるにつれ、遺跡の大きさと出土品などから、卑弥呼の邪馬台国の場所ではないかと言われています。

 この纒向遺跡の調査結果は金剛座寺史を考察するにも、大きな手がかりになると思われます。
纒向遺跡のある地域には、金剛座寺穴師神社の元社である穴師座兵主神社(穴師山)が入っているのです。
 天照大御神のモデルは卑弥呼ではないかとの説がありますが、そこから天手力男命との接点もでてきます。
 穴師は元伊勢一番目の笠縫邑(かさぬいむら)の比定地です。
金剛座寺のとなりにある松阪市中万の乳熊寺は元伊勢の神山の地ですが、神山は天手力男命を祀る佐那造の関係があります。
卑弥呼が天照大御神のモデルであるならば邪馬台国が桜井市にあっても不思議ではありません。

金剛座寺境内地にあると言われている横穴式古墳ですが、もし邪馬台国⇔穴師⇔金剛座寺との関係があるのであれば、関連があるものが出土するかもしれません。ますます興味が広がります。
 今後の纒向遺跡の調査結果を楽しみに、あらためて横穴式古墳発掘への意欲が高まりました。


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コメント 6

龍角庵

穴師座兵主神社は相撲の神社でもあります。金剛力士も手力男命との関係を連想させます。
伊勢のアマテラス族と佐奈神社の距離、桜井市の古墳と神社の距離など、調べてみたい気がします。
手力男命と穴師は朝鮮半島渡来かもしれませんね。
by 龍角庵 (2009-11-22 12:09) 

renge

>手力男命と穴師は朝鮮半島渡来かもしれませんね。

 私は天手力男命と穴師一族を含む天津の神々は南方渡来だと考えております。そして朝鮮から日本に渡来したのではなく、日本から朝鮮に勢力を広げていったのではないかと考えております。
 佐那神社には近隣にあった式内社の 須麻漏売神社(すまろめじんじゃ)が合祀されておりますが、スマロメとはスバル星を神格化した大変珍しい神で、大西源一先生、春海先生が特に注目していた神社でした。佐那神社と関係の深い外宮の関係古文書にスマロメ神が登場しますが、外宮の渡会氏は海部氏の末裔といわれております。南方系民族である理由の一つに南洋にしか見ることのできない船の方角として重要なスバル星を神格化するにはスバル星の見えない朝鮮渡来ではありえないと考えるからです。
 外宮と佐那の関係は非常に大きいので、金剛座寺を考えるにもキーワードにしています。佐那(金剛座寺)の真東に外宮が建立されたのも偶然ではないと考えております。
by renge (2009-11-25 21:29) 

龍角庵

スメロマsumeromaとスバルsum(b)aruは音韻もしていますね。外宮との関係も興味深いです。
スバルは南洋にしか見えないというのは如何なものでしょう。日本の古代文献にも登場しますし、朝鮮半島の南なら見えます。
私が朝鮮渡来と想像したのはアマテラス族(天皇家?)と新羅族との関わりです。弥生文化は朝鮮半島経由であるようですし、米と神道行事の関わりの深さもそれを連想させます。
日本語は大まかにいうと、北方系(半島系)の文法に南方系(マライポリネシア系)の語形成が混合した珍しいタイプの言語です。どちらが変化しにくいかというと文法です。日本語が北海道でアイヌ語を取り入れて地名を作ったように、弥生人が土着の縄文語を採り入れていったと考えるのが妥当でしょう。
神話や習俗は基本が自分たちのものでしょうから、日本と朝鮮半島に共通部分が多いということから、現代日本を形成した部族は半島系というのも妥当だろうと思います。
もし穴師族が南方から弥生時代以前に来たのであれば、弥生時代以前に鉄器または青銅器がなくてはなりません。その意味で銅鐸の存在、その年代の確定が非常に重要です。銅鐸は弥生時代というのが一般的ですが、最近では、銅鐸は壊された形で出ることが多いので、それ以前の宗教道具だという説もあります。銅鐸の破壊と穴師族の消滅(追放?)とは関連があるような気もします。
手力男命も縄文族だった可能性も捨て切れません。
日本神話に登場する神々がすべて同一の種族だと考える必要はなく、スサノオやクマソなど異民族を暗示する人々も登場します。
穴師神社、佐奈神社、外宮が縄文族出身の神を祭ったとするなら、非常におもしろいですね。銅鐸が無傷のまま出たら、その可能性があります。破壊できなかったので、そっと隠したという推定です。
by 龍角庵 (2009-11-27 14:41) 

龍角庵

お寺の近くの四匹田で銅鐸が出たそうですが、お寺の山のすぐ近くですよね。その銅鐸は破壊されたものだったのでしょうか?
by 龍角庵 (2009-11-27 14:53) 

renge

お寺の山の近くではなく、金剛山の麓に銅鐸が出土しています。ちょうど天啓の里の裏です。
 約尺五の完品で流水文であったそうです。残念ながら現物は紛失されています。たまたまガラクタ家業の方が発見し、射和の古物商に売って、古物商が大阪に持っていって売ったそうです。郷土史家の海住先生が数ヶ月後にその事を知って急いで後を追ったのですが、銅鐸は終に行方知らずとなったそうです。その後発見者や古物商の方を詳しく形態を伺って調査報告書になっています。海住先生は、銅鐸が金剛山麓で発見されたのは金剛座寺と無縁ではなく、金剛山を信仰の山として中心に集落ができたのではないかと見ていると自説を説明していただきました。銅鐸埋葬の場合は一つではない場合が多いので、金剛山のどこかに眠っているのではないかと思っております。
 
by renge (2009-11-28 08:08) 

龍角庵

詳しいご説明をありがとうございました。尺五の完品ということは壊れていないということであり、非常に興味深いです。
先日のTV番組(「不思議発見」)では銅鐸は卑弥呼以前の宗教祭具で、卑弥呼=天照大神であり、その時、祭具は鏡になったので、銅鐸を破壊した、という説が紹介され、銅鐸を火で焼いて壊す実験までしていました。だから壊れた形ででることが多いのだそうです。
完品が出るとしたら、元の宗教の人(縄文人?)が埋めて隠した可能性が高いでしょう。むろん一つではなく、いくつかあったと想像できます。

by 龍角庵 (2009-12-01 12:10) 

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