穴師神社史考察 [金剛座寺の歴史]
金剛座寺の発祥と考えられる式内穴師神社は、現在比定地は松阪立田町の穴師神社となっています。
その松阪穴師神社にはヨイヨイ神事という祭があります。その祭の縁起には、頼って逃げてきた主君源義朝を裏切り騙まし討ちした家臣長田荘司忠致が、父の敵討ちの源頼朝に追われ伊勢から佐奈そして立田に逃げこんだところで斬首されたとされ、その後凶作が続いたところから、祭りが行われるようになったといいます。ただし長田忠致が伊勢で殺された史実はなく、なぜまったく関係のない長田忠致がそのような伝説が付加されたかは解っていません。江戸時代に流行った長田の物語が凶作の問題と混同されたとも考えられています。
それでは穴師神社と長田忠致はまったく関係性がないのかといえば金剛座寺穴師神社を通すと接点が見えてきます。一つは逃亡先の一つに佐奈が入っていること。佐奈は松阪穴師神社の一族の故郷といわれ、それは金剛座寺の穴師神社といわれています。
もう一つは、騙まし討ちがあった長田忠致の領地は、尾張野間(現在の知多半島美浜町当たり)なのですが、鎌倉時代の金剛座寺の僧侶の写経がある羽豆神社が同じく領地のエリアであったであろう美浜町の隣の南知多町にあります。つまり金剛座寺と長田忠致が納めていた尾張野間には接点があるということです。また知多半島は伊勢との船交易がありますので、伊勢から入ることも可能です。なぜ金剛座寺と羽豆神社が繋がっているのかがまだわかりませんが、長田忠致の物語が付加されるルートは金剛座寺穴師神社にはあることがわかります。
2008-09-22 23:10
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コメント(5)









穴師神社は謎が多いですね。私は金剛座寺が中央構造線上にあることが重要と思っています。全国の丹生神社が構造線上にあることは知られており、近くに多気の丹生神社もある。お寺が水銀鉱脈の真上にあり、鉄、金なども産出したと考えています。そういう関係の人々の氏神であった可能性が高いです。アナシ、カナシは同義語だといわれています。この中央構造線上に近畿の金剛山もあります。
構造線は渥美半島から伊勢北方に抜けますが、羽豆神社は知多半島の最南端にあり、伊勢湾海上ルートの守り神であった可能性もあります。
知多あるいは渥美から伊勢は船だと本当に近いです。鉱物を船で運ぶには便利だったはずです。ちなみにハズというのは弓の筈を語源とする説もあり、知多半島が弓の形をしていること、筈とは矢の手元側、弦をはめる部分のことで、矢の先が鏃、金属であることが関わります。
イメージだけでいえば、海上ルートを矢に例えれば、鏃が伊勢、筈が知多半島あるいは渥美半島の先端です。鎌倉武士にとって、弓矢は重要な武器で、それを例えることはありえます。
私見では、伊勢神宮は大江山の元伊勢から遷宮されたものであり、構造線と伊勢神宮は関係ないと思っています。古代を考える場合には伊勢神宮をはずして考えた方がよいと思っています。
金剛座寺の名称ももしかしたら、金剛山寺だったものが、仏教的性格を強めるために改正したかもしれないと考えられます。
以前から気になっているのですが、現在の穴師神社跡は位置がやや低いです。金剛山の頂上になにかあるのではないでしょうか?
by 龍角庵 (2008-09-23 09:41)
google earthで調べてみると、穴師神社跡は城山山頂や金剛山周辺の山頂と直線上にあります。その線は中央構造線上にあります。中央構造線は渥美半島先から、浮島、丹生神社、月出露頭(飯高)を通ります。
穴師神社が無関係という方がむずかしい位です。
http://www.geocities.jp/tyuou59/indexkinnki.html
によると藤原不比等が鉱山開発に熱心だったことと金剛座寺の由来との関係も考えられます。
一度、中央構造線の旅をしてみたいです。
by 龍角庵 (2008-09-23 11:48)
参考になるご示唆有難うございます。
丹(水銀)の視点は、金剛座寺のキーワードと益々感じております。
中央構造線は、正確には丹生から五桂の山に抜けており、谷を挟んだ反対側の山が金剛座寺のある山々になります。佐那は古くから佐那谷と呼ばれていましたが、谷とは現在の佐那神社のある仁田・前村・平谷と続き、大台町までが佐那ではなかったかといわれております。
サナ(キ)は鉄の古語ですが、武器となる製鉄の技術は力の象徴であること、その地に天手力男命が祀られ、また金剛山の麓に銅鐸が発見されていることは、繋がる点だと思います。
>以前から気になっているのですが、現在の穴師神社跡は位置がやや低いです。金剛山の頂上になにかあるのではないでしょうか?
するどいです。まだネットにはかけない情報ですが、お会いした時にお話します。
>私見では、伊勢神宮は大江山の元伊勢から遷宮されたものであり、構造線と伊勢神宮は関係ないと思っています。古代を考える場合には伊勢神宮をはずして考えた方がよいと思っています。
私は関係あると思います。古代から丹は大切な鉱物でした。特に鏡を作る時には大切な材料です。構造線は外宮と内宮の間を綺麗に通過していますが、新しく内宮を遷座した後、わざわざ構造線をまたいで対に外宮を作ったとしか思えません。構造線には二見興玉神社が入っています。ここには猿田彦神にも関わる神社ですが、この導きの神は不明な点が多く関係性を調べる必要があると思います。また外宮と佐那は関連が強く、古事記では外宮の豊受大神に続いて佐那の手力男尊を説明しているぐらい、権力のあった天手力男命の一族を丹生の近くに住まわせるわけです。そしてその天手力男命は天照大神を岩戸から連れ出す功績が古事記に描かれ、現在は内宮の天照大神と一緒に相殿として祀られている程の特別な神としての待遇を得ています。
>金剛座寺の名称ももしかしたら、金剛山寺だったものが、仏教的性格を強めるために改正したかもしれないと考えられます。
平安後期に書かれた公文書『近長谷寺資財帳』(953)には「穴師子寺」として書かれています。金剛座寺にいつ改名したかわかりませんが、金剛座寺が登場する羽豆神社の写経銘が鎌倉時代(1329)ですので、約380年弱の間に改名されたことになります。この間に2度も改名されたとは思えませんが、金剛山が金剛座寺の省略ではなく、鉱山を表すということは興味深いです。ただし金剛山は採掘跡・歴はありません。
>藤原不比等が鉱山開発に熱心だったことと金剛座寺の由来との関係も考えられます。
藤原不比等とお寺が関係あった史実はないのですが、丹の採掘は聖武天皇の東大寺大仏建立にとって重要課題でしたので、そこからの繋がりは考えられます。
穴師神社の元社であろう、奈良の穴師座兵主神社ですが、まず豊受大神と同じ御食津神であり、また豊受大神の親神である和久産巣日神が祀られていること。またご神体が鏡であるというのも興味深いです。穴師山と三輪山の関係も重要だと思います。
また、今、四国邪馬台国説も話題になっていますが、構造線上に同じ佐那の名の付く佐那河内町があり、そこには天手力男命が祀られ、近くで丹の古掘削地があります。丹を担う氏に丹生津姫命の一族がいますが、同じように天手力男命の一族も丹の権益にあった氏族だと考えております。
穴師神社は、興味がつきません。
by renge (2008-09-24 16:34)
いま、籔田紘一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
by 島根考古学ファン (2008-11-26 04:27)
島根考古学ファン 様
ご意見ありがとうございます。
by renge (2008-11-26 19:39)